「変 死」でのエピソード:市川裕隆 編


幸
福な出会い

「変死」のオーディションもかねた面談に、市川氏はセカンドバッグ片手に軽やかに、かつさわやかにやってきた。包み隠さず第一印象を申すならば(小生よりは一回りも年上の方にこんなことを申し上げるのは甚だしく失礼だが)、とても清清しい好青年、この一言に尽きる。
本作は台詞らしい台詞が出てこないため、代わりに某ハリウッド映画のスクリプトをその場で読んでもらうことになった。感情表現の振幅の加減、そして瞬発力が申し分なくよかった。かといってオーバーアクションでもなく。記録用にカメラをまわしていた監督の表情も明るい。メインキャストにはいかなる状況下においてもボルテージをポンとあげられる人がいいね、などど話していたら、ついにやってきた。それが市川裕隆だったのである。
私達に市川氏を”寿志”役に抜擢しない理由はなかった。
あとで本人から聞いた話だが、本作でなんらかの結果が出なければ役者業を断念していたかもしれなかった、とのことだ。
双方に幸福を与えた出会いだったというわけである。


寿
志というキャラクター

今回市川氏に演じて頂いた寿志というキャラクターについて。
人は「些細なことでブチギレしない」ように物事を「テキトーに処理し」たり「忘れ」たりしながら生きている。「そこらへんにいる人に愚痴っ」たり「とりあえず飲」む、など一見ネガティブな行為も、ストレス発散に一役買うことだってあるのだ。「がんばります!」なんて下手なポジティブ思考よりも「まぁいいや」「飲んどくか?」等々諦念にも似た感情の方が人を生かすこともあるのだ。それはさておき。

市川氏演ずるところの「寿志」はストレスを溜め込めるだけ溜め込んでおいて、挙げ句の果てには人が「えっ?」と思うようなことで突如爆発する。「その程度のストレス」に見合わないやりかた、レベルで爆発する。本作では台詞を使用していないため、市川氏にはすべてを所作のみで表現してもらうしかなかったのだが、それが余計に寿志の無気味さを増している。肉体表現を得意とする市川氏にはまさにもってこいの役だったのではないかと思う。また氏の特有のムード−−どこか中性的で明るいような暗いような、ただならぬ雰囲気−−も、私達が求めていた「寿志」像と重なる部分が多い。寿志の爆発ぶりと同時に、どこからどこまでが演技なのか不可解な市川裕隆の怪人っぷりを観客の皆様に堪能していただければと思う。

軽
やかに

今までの役者人生の中で、有明(下水)処理場内での撮影が一番印象的だった、と市川は述懐する。その言葉通り、あの日の市川は広大な施設の中で一際輝いて見えた。まるで施設内すべての空気を市川が支配するかのような、そんな迫力で彼は撮影に挑んでいた。話しかけようにもどこか近寄りがたく、撮影は黙々と続いた。しなやかに施設内を駆け回る姿は美しく、しかしどこか人間離れした雰囲気をも漂わせていた。
地上へと続く、緩やかで長いスロープを駆け上がるシーンがあった。監督の「カット!」という声が響き渡る頃にはすでに、市川の姿は春の光の中へと溶け込んでいた。寿志の「達成感」と役者市川のそれが一瞬重なって見えた。
お世辞にも順風満帆な役者人生を送ってきたとは言えなかった市川。だが常に感じてきた渇望感こそが市川を奮い立たせてきたのではないだろうか。過去を振り切るかのごとく軽やかに走り去る市川の後ろ姿に、なにか希望にも似たものを感じてしまったのはわたしだけではないかもしれない。


敵
前逃亡の彌勒菩薩/DRESS DOWN SOCIETY

役者としては重点を舞台より映像表現に置きたいという市川氏だが、舞台への出演依頼も決しておざなりにせず、あちこちで期待に応えている。「変死」出演後は舞台への出演が相次いだ。
「敵前逃亡の弥勒菩薩」ではなんと四役もこなしていた。その中でも特に印象的だったのが「ホモの富豪役」。以前から市川の中性的な雰囲気には何かただならぬものを感じてきたのだが、ここにきてついに、市川の本性を見たような気がする。全身から臭い立つようないやらしさ(失礼!)、そして女性よりもさらに女性的でなまめかしい身のこなし。この身のこなしの美しさにも何か天性のものを感じさせる。一瞬まさか「本物」なのでは、と見まごう程であった。その他、新興宗教のうさん臭い宗教家といった、いつの時代にも必ずでてくる「怪しげな男」を、奇妙な笑いも誘いつつムードたっぷりに演じきった。
一方DRESS DOWN SOCIETYでは市川は1シーンのみの登場を果たしている。一姉妹をたぶらかし、最期は主人公である姉に妹との浮気現場を見られ、激昂されたあげくに刺殺される「洋(ひろし)」の役だ。劇中、主人公の回想シーンに蘇る洋。殺されたままの姿で過去から這い上がってきたかのような姿はまさに鬼気迫る迫真の演技であった。 欲をいえば、主人公が洋のどこに惹かれたのか、洋のキャラクターに関する手掛かり、調子よく女性達を口説く姿なども見てみたかった。
今後は、シリアスな演技だけでなくコミカルな表情もみてみたい。素顔の市川氏を知っていれば、こんな思いに駆られる。
市川は語る。「僕ホラーが好きなんですよ、ダリオ・アルジェントとか。」ホラー映画の、特に恐怖シーンの「見せ方」については様々な点で学ぶところが多い、と。研究熱心な市川もそろそろ中堅と呼ぶにふさわしい年齢に達している。これからの10年間でこれまでにはなかった円熟味や渋みといった新たな魅力が増してくるだろうし、一人の人間として積み重ねてきた時間の重みも加わって、ますます目が離せない役者の一人になっていくのではないかと期待している。

文:大井江里加(シューガコ−デッド有限会社)